アラフィフ男子の思いつき雑記ブログ zatublog’s diary

いち介護職員の日常をブログにします

義務教育の学校について。

 最近は小中学校に行かなくても卒業資格が取れるみたいですね。

子どもの話を聞くと、クラスで1/3くらいが不登校なのでクラスのグループを作っても自分だけとか二人だけとかになる事もあると聞きました。

 まあ、私個人の意見としては、学校は基本的に学力(主に知力)が良い人が優遇されているように感じます。運動能力が高くても、聞くところによると、運動会でも競い合うことは無いようなことを聞いたことがあります。人はそもそもそれぞれ得意と不得意があり、運動は出来ないけど知力が高い人は知力を伸ばして評価されるが、運動は出来るけど知力が低い人は勉強を頑張らないと運動バカみたいに言われてしまいます。

 私が思うには、人は協力して生きていく(友達を増やすと言う意味ではなくて、社会を回して行くために得意分野でカバーして社会を円滑に回して行くと言う意味の協力です)生き物だと思います。それが一番差別がなくそれぞれを尊重して生きていけるのでは無いかと思います。

 ただ、誰もが伸ばすことのできる能力は、円滑に生活をして行くための能力だと思います。そしてそれが一番大事だと思うのです。

 学力が高い、運動能力が高い、のは自慢できることだと思いますが、お互いをけなさない、お互いを認め合える、お互いを尊重し合える、そういった能力が一番重要ではないかと思います。同時に、誰にでもできることです。

 それを教えるのは大人の責任だと思います。学校に不信があったり、先生に不信があったりして、安心して学校に任せられないと考えてしまう気持ちもわかります。それで、学校に行きたくない子供に対して、それでは不登校でも信頼できる人のフリースクールなどで学ばせたいと考える親もいると思います。それでも、その後も本当に子どもにとってそこが最善なのかと定期的に見直す必要はあると思います。

 最近話題になっているクラウドファンディングの子どもの動画(直接その子に興味はないので見ていないですが)を解説した動画があげられているのでそんなのを見ていると、まあこの子どもが悪いと言うよりは、親が完全に悪いですね、との私の意見です。

三者から見ると、この両親や周りに群がっている大人はこの子の将来のことなどを考えてあげていないと誰もが考えることだと思いますが、周りの人にはそれは感じれないのでしょうね。

この子のことを心配してツイートやユーチューブで意見している人もいますが、それもただの第三者なので他人事です。動画の再生数稼ぎです。将来の不幸が早く見てみたいと言う野次馬の心です。当たり前です。

だから、義務教育で学校に行かない選択を許したのなら、親が学校より自分の子供のことを考え、その環境を作っていったり、自分で教えたりしないと最終的には誰も助けてはくれないことでしょう。

 もちろん、私としても赤の他人なのでこの子がどうなっても何の支障もないし、逆にここから良い大人が見つかり成功者になれたとしても良かったな、と言った感想しかないです。ただ、人を殺めたりするような人間にだけはならないで欲しいとは願います。

 話がきちんとまとめられないですが、今日もありがとうございました。それでは。