最近ユーチューブなどを観ていてたまに目にする気になるワードがある。
それは、「管理職の罰ゲーム化」です。
一度チラッと流し見したくらいなのですが、この題名を観ただけで何となく内容は理解できる気がします。
私も、”管理職は罰ゲーム”だな!と思います。ずっと前から感じてはいたのだけれど、この言葉を知って「そうそう、ピッタリな言葉だな」と感心しました。
私の感じる管理職。私の場合は介護業界で感じることですが、管理職やステップアップして介護福祉士からケアマネージャーの資格を取得しケアマネージャーの職に就くといった場合です。
例えば、現場仕事を頑張ってステップアップしたいと感じたときです。介護福祉士から介護支援専門員(ケアマネージャー)の資格を一生懸命勉強し資格を取得したとします。(※仕事の種類としてケアマネージャーが現場のスタッフより偉いと言っている訳ではないです。ただ単に資格的にステップアップしたと言う事です)
現場で夜勤の仕事もして年齢的にも辛くなり夜勤の無いケアマネージャーへ転職または部署異動の希望を出したとします。とは言え、ケアマネージャーの仕事は基本給は上がると思います。ただ、今まで現場で夜勤をしていた人にとってはそこまで総支給は変わりません。と言うか若干下がってしまう事も十分ありえます。事務的な仕事に変わるので体力的には楽になりますが。、、、精神的に楽になるかわ分かりません(・_・;)
お給料が十分上がるのなら良いかも知れないが、あまり変わらないとなるとちょっとした罰ゲームかも知れません。
もっと言えば現場での管理職になった場合です。
介護で言えば、いちスタッフから介護主任になった、等の場合です。介護の世界で言えば、主任になると役職手当が支給される事も多いですが、だいたいが5千円から1万円程度です。夜勤をやりながらだと単純に手当分が給料アップです。ただ、日勤の状態の把握が必要なので夜勤の回数は減ることが多いです。減らなかったとすれば、それはそれで主任としての仕事ができず大変です。
もし夜勤が無くなってしまった場合は収入的には悲惨です。和歌山の介護職の夜勤は大体が1夜勤あたり5千円から8千円です。月に5回の夜勤があれば2万5千円から4万円です。責任だけが増えて給料が下がる。これぞ罰ゲームです。しかも中間管理職。上から下から締め付けられて一人で仕事を抱えていっぱいいっぱいになる。
これでは誰もやりたがらないです。ボランティア精神や責任感で仕事はしないでしょう。「給料はいらないよ。仕事に人生を捧げる。管理職というネームがあれば嬉しい。」など時に今の時代には受け入れられない。それなら責任も小さくプライベートを充実させる為に管理職にはならない選択は十分ありだと思う。
そういう自分も数年前に仕事に押しつぶされて鬱と診断されて休職していた過去がある。お給料も今の1.5倍あったけど全然貯まらなかったなぁ。ストレスって本当に貯めると全ての面で恐ろしい。少しのストレスは良いという人もいるが、自分的には少しのストレスも無いに越したことはないと思ってしまう。
と言いながら、いち現場スタッフでありながらストレスを感じ、ケアマネージャーの仕事に変わろうかな?などと悩んでいる矛盾した自分もいる(^_^;)
「何のために生きて、何が自分にとっての幸せなのか」と日々悩み考えながら暮らしています。生きている内に答えが知りたい。
↑今日は今年初のブロッコリーまるかじり(^^)いつもありがとうございます。
(AI翻訳)
管理職の罰ゲーム化は、近年ビジネスの現場で頻繁に議論されているトピックです。この比喩は、日本の管理職に対する課題を浮き彫りにしています。管理職のポストは、後継者不足、イノベーション不足、部下育成不足、そして管理職自身のストレスといった問題に直面しています。経営・組織の課題を超えて、社会的な問題とも言える存在となっています。
私の感じる管理職の現実は、介護業界において感じることです。例えば、介護福祉士からケアマネージャーの資格を取得し、ケアマネージャーの職に就く場合です。ケアマネージャーの仕事は、基本給は上がるものの、夜勤の回数が減ることが多く、給料の増加は限定的です。夜勤が無くなった場合、収入的には厳しい状況になります。
また、現場での管理職になった場合も同様です。介護の世界では、主任になると役職手当が支給されることがありますが、その額は限られています。管理職は、部下のマネジメントだけでなく、プレイヤーとしても活躍することが求められ、パワハラ認定を恐れてまともな指導ができないこともあります。このような負担は、職場全体に影響を及ぼします。
私自身も過去に仕事に押しつぶされて鬱と診断され、休職した経験があります。お給料は増えたものの、ストレスが積み重なり、貯金が全くできませんでした。ストレスは身体的・精神的にも影響を及ぼすことを痛感しました。
「何のために生きて、何が自分にとっての幸せなのか」と日々考えながら暮らしています。生きている間に答えを見つけたいと思っています。