アラフィフ男子の思いつき雑記ブログ zatublog’s diary

いち介護職員の日常をブログにします

感謝について考える。

 最近、母親と同居することになり介護を初めて思ったことがある。

 

 母親は、神社を観ると手を合わし、ご飯を食べると「ごちそうさまでした。ありがとうございました」と言い手を合わし、車の助手席に乗っていても相手の車が待ってくれたりすると小声で「ありがとう」と言い頭を下げる。

 一日の中でも結構な回数感謝の言葉や行動を行う。昔から毎朝仏壇に手を合わし般若心経を唱え、写経をする。子供の頃は「よく毎日毎日朝早くからできるな」と思っていたくらいだった。

 そして、その行動が今のすぐに感謝すると言うマインドに変わっているのだと思った。

 

 私も仕事で手伝ってもらったり何かを助けてもらったりすると直ぐに「ありがとう」と言うようにしている。なので、人に感謝するという事は良い行動だとは思っている。しかし、母の行動や今までの人生が分かってくればくるほど、その感謝が報われていないと思う。

 おそらく母は「ありがとう」とだけ言っておけば何もせずに良い方向に物事が進むと思い込んでるだけなのだろう。自分から何も努力せずに感謝の言葉や態度を見せるだけでOKで、楽なのだろう。

 

 昨晩母とも話をしたが、うちの家庭には誕生日や父の日、母の日、こどもの日などのイベントはなかった。盆や正月には両親の実家に帰ってはいたが、それは両親の実家のイベントに参加する、というだけで、私の両親が主催して行うイベントではないから参加していただけなのだ。

 私は離婚経験があるが、妻を実家に連れて帰っても特に特別な料理はなく、妻が父の日や母の日に贈り物をしても「ありがとやで」と言うだけで、妻や子供の誕生日を祝う訳では無い。その面倒なことをいちいち覚えておくと言う感覚もないし、私がもう直ぐ子供の誕生日だと伝えたとしても、何をして良いのか分からないと言い、これで何か買ってあげてとお金を私に渡すだけだ。

 その頃は、本当に妻の家族に対し恥ずかしかったし、形見の狭い思いもした。その事を母にも昨晩伝えた。「そやね、迷惑ばっかり掛けたな」と言われたが、多分これも言葉だけなのだ。

 

 母は何かをされると感謝の言葉は言う。しかし、面倒なことは嫌だ。そこで、母を利用しようとする人は、「これを買ったら運気があがる」「これは今しか手に入らない」「これに投資すれば必ず儲ける」などと言われ、特に調べることもせずにホイホイとお金を出していたのだ。そして、詐欺に合う常習犯になり、見事に詐欺師のブラックリスト入りしていたのだ。

 気付けば、最終的には父親にも詐欺にあっているようなもので、父親(夫)にも通帳を盗られ好き放題使われていたのだ。

早く気付いて良かったのか、気付くのが遅かったのかは分からないが、ゼロからのスタートになる。

 

 まとめると、感謝することは大事なことだし、大切な気持ちだと思う。ただ、言っておけば良い方向に進むというのは間違いです。感謝を伝えると同時に、自分も相手に対して何かをする、という事が大切です。感謝するのでは無くて、どっちかと言うと感謝される行動の方が大切だと思う。

 母の様に、感謝だけしとけば良いやっと言う考え(実際はそうは思っていないと思うが実際の結果としてそうなっているので)だけでは幸せにはなれないし、詐欺師から自分を守ってくれることもない。事故に合わない訳でもない。しかし、感謝される行動を日頃から取っていれば、詐欺師にあった時に誰かが助けてくれたでしょうし、事故にあったとしても、その後に手助けもしてくれる人もいるでしょう。

 

と言うことで、母の人生から「感謝」について考察してみました。母は今、私がこれを書いている後ろで般若心経を写経しています。これはただの認知症予防ですが。物忘れが酷くて困っています。アルツハイマー型の認知症は一般的に最近のことが覚えづらく昔の事ならよく覚えていると言うケースが多いですが、母の場合は上記の述べたように受動的な行動しかしてこなかった為、いつ父親に通帳と実印を盗られたと聞いても「覚えてないんよー」、母親が入院したのっていつやったっけと聞いても「入院らしたかな?全然覚えてないわ」と言うばかり。単車でコケて入院したやんって言うと「そうやったな。骨折ったんやった」とようやく思い出すっと言った感じです。認知症と言うよりは、そもそも覚えてない、興味ない、と言った感じですね。

 

 それでは本日も最後までお読みいただきありがとうございました。良い一日をお過ごしください。