アラフィフ男子の思いつき雑記ブログ zatublog’s diary

いち介護職員の日常をブログにします

母親の趣味(する事・できる事)を探してみました。【介護編】

 昨日、母親とこれからの事について話し合いました。

 

 今までの簡単なあらすじとして、今まで母親は父親から、DV(ドメスティック・バイオレンス)やネグレクト(放置)、生活費を渡さない、母親のお金を勝手に使っている、などの被害を受けながら暮らしていました。父親は毎日パチンコ通いに勤しむなか、母親はソロバンや習字を子供に教えて暮らしていました。

 このままでは将来が不安になった私は、今仕事に行けていない状況を利用し母親を助けようと動きました。しかし、鬱病で仕事が出来ていない私にとってはかなり大変なことでした。考えることも大変だからです。そして、時々現状が嫌になります。でも、中途半端にすると父親のDVが酷くなるので引き下がれません。と言うことで、今は数日前から母親を私の自宅に連れてくる事に成功しました。お金関係も、母親の受け取るべきお金は父親に取られている母親の通帳を解約して、母親のもう一つの通帳に送金先を変えるなども行いました。

 

 しかし、これで母親の生活にとってのスタート地点に立っただけです。

 私にとっても、母親の介護が遂にスタートしたのです。

 

 母親は仕事(塾)以外には何もできる事やしたい事はなく、塾が始まる子供が学校から帰ってくる時間までは何もすることが無いのです。かと言って、お金もありません。

 私も無職の状態です。そろそろ仕事も始められる頃かと思っていた矢先のこの出来事です。介護の事を考えた職探しが必要になりました。

 これがもし、私の家では無くて実家での介護なら少しはマシだったかも知れません。81歳の母は私の家の環境に慣れるのも一苦労です。物忘れもあり何度も説明が必要になります。する事やしたい事が無いため、放って置くと部屋に帰らず私の居る場所にずっといます。部屋に帰ってとも言いづらく、遠回しに言っても「私は大丈夫よ」と言われるだけだし、傍で見てられても自由に何も出来ないから部屋にでも行ってテレビでも見たらと伝えても「私は気にしないから自由にしてくれたら良いんやで」と言われるし、なかなかのストレスになります。

 部屋ではYouTubeを付けていますが、母には使い方が分からないので私が設定を行います。先日はノンスタイルの漫才を見せて面白いなと言っていたのでそれを流すと、この人達ばかりなんよ、とクレームが来ました。やはり、お金が掛かってもテレビの契約をするしかないか、と思っています。しかし、テレビだけを見させておくのも駄目だとは思います。私自身が母を放置している感覚にもなりそれもストレスになります。

 

 と言う少し長いあらすじでしたが、昨日母親と話し合いを行いました。

大変でした。「何かしたい事はないか」と尋ねても「何もしたいものがないんよ」と答えるし、「本でも読んだら?」と言うと「目が見えづらいから本はねぇ」と拒否されるし。なので、何かもすることがなければ、デイサービスとかに行くしか無くなるよ。デイサービスに行くのは賛成ですが、要支援の母親にとっては週に一度行けるだけです。「私もいつも一緒にいれる訳では無いし、ずっと見てられてもストレスにもなる。することないのならテレビを見ててと言うのも私が放置しているみたいでそれもストレスになる」と伝えると「そうやね。迷惑よね。テレビ見とくよ。他にする事ないし私もどうして良いか分からないのよ」と答えられた。

 そうこう話している家に、昔毎日写経を書いて拝んでいた事を思い出した。「また写経でもしてみたら」と言うと、「そうよ。私毎日写経書いてたんよ」と話にのってきた。と言うことで、する事の1つ目が見つかった。そして、もう一つが塾でやっているソロバンを自分でもやることです。プリントは10分でするものみたいなのですが、10分でする自信がないと言うので、「10分にこだわらず、今日は20分掛かったけど次の日は19分でできたらそれでも目標になるやろ」と伝えると「そやね」と良い、塾で使っている予備のソロバンを持って帰って来ることになった。写経はアマゾンで購入かな。

 部屋に写経とソロバンができる机を用意しないといけなくなったが、仕方がない。

 

 これで、沢山あるうちの一つの課題がクリアできそうな予感がする。

 次の大きな難関は、塾を教えている教室までの母の送迎です。生徒は数人しかいないのでタクシーを使っていくこともできない。それでは大赤字になる。なので、15時頃と18時頃に送迎が必要になってくるのだ。これも実家に住んでいれば教室まで近いので問題は無くなるのだが仕方がない。仕事を探すのは、とりあえずはこの問題がクリアできる仕事先なのである。

 実際、何を優先したら良いのかが分からない。FIRE出来ていたのなら短時間の仕事だけでも乗り切れただろう。母親のお金が父親に使われていなければそれも可能であっただろう。まあ、普通の夫婦なら協力し合って生活するのだからそもそもその心配はないのだけれど、、、。

 

 今は本当に食欲がない。ストレスは本当に怖い。

仕事をしていた時のストレスは、やけ食いに走っていた。しかし、介護のストレスは食欲不振になっている。介護だけでは無くて、将来の不安に関係するストレスは食欲が無くなるんだろうな、と思った。

 自分のやっている事が本当に正しいのか、正しかったのか、もっといい方法は無かったのか、といつも考えてしまう。母親の事は無視していればもっと楽だったのに、とも考えてしまう。

 世の中には介護で悩んだり苦しんだりしている人は沢山いると思う。自分だけでは無いし、もっと大変な人も沢山いるでしょう。私は以前はケアマネジャーの仕事をしていたので少しは理解があると思っています。しかし、介護する当事者とすれば、他人が考える何倍もの悩みやストレスがあると改めて理解しました。

 介護での悩みは地域包括支援センターや最寄りのケアマネジャーなどに相談するようにとは言われるが、結局は何かを犠牲にしないと解決しない問題が殆どです。それをどう選択したら良いか、失敗はできないと悩んでいるのです。相談して失敗しても結局は大変なのは家族です。介護する側の判断ミスで、親など介護される側が不幸になるかも知れないと思うとストレスは計り知れません。最終的には仕方なかった、と割り切るしか方法は無いのですが、、、。

 

 本日も最後までお読みいただきありがとうございました。介護で悩まれている方は沢山いると思います。私の体験談や体験中の話、考え方など参考になれば嬉しいです。親の事を思えば思うほど、どう進んでも後悔はすると思います。放ったらかしにできる人の神経の方が明らかに楽なんです。後悔することを前提に介護していくことも必要かな、と思います。

 それでは良い一日をお過ごしください。